五条悟と伏黒恵と慶長年間の当主御前試合の話 - 1/3

1.
 ひと、ふた、み、よ。夢を見る。
 みずたま、ゆらゆら。夢を見る。

 最近寝付きが悪いんです、と恵が言った。五条家の屋敷に来てから何ヶ月かが経った頃だ。義姉の津美紀が到底日常生活を送れない状態になってしまってから、恵は埼玉のアパートを引き払って、僕の元で生活していた。
 恵はその決して裕福で幸せだったとは言い難い生い立ちのせいか、あまり他人に自身の不調を告げることをしなかった。前に僕の任務に同行した先でぶっ倒れて、実は前夜から高熱を出していたのだと言ったこともある。意地っ張りなこの子供が、よりにもよってこの僕に打ち明けたのだから、今回はだいぶ来ているに違いなかった。
「眠れないなら高専お抱えの心療内科を紹介するけど」
「いえ、眠ると変な夢を見るんです」
「夢ねえ」
「すごく綺麗な宝石を揺らしているんです。今までにないくらい幸せな気持ちで、こうやって」
 ひらひらと、恵が人差し指と親指で虚空をつまんで揺らす。ぼんやりとどこでもない空中を見つめるその目の下には、くっきりと隈ができていた。
 白い額に手をやった。手合わせの合間だから汗ばんではいるが、熱はない。首に触れる脈は少し早いが、これも運動直後であればこんなものだろう。傍目にはおかしなところは何もない。サングラスを外して六眼で覗き込もうとすると、慌てて手を振り払われた。
「すみません、大丈夫ですから」
「聞いているかぎりだと幸せそうな夢なのにね。悪夢ってわけじゃないんだろ」
「誰かをずっと呼んでいるみたいで、自分の声で夜中に何度も目が覚めるんです」
 結局それだけでは何もわからず、稽古はお開きになった。恵の集中力が目に見えて途切れ始めてしまったからだ。そんな漫ろな気持ちのまま続行して、怪我をしてもさせても困る。来年には呪術高専への入学が決まっていることもあり、本格的に稽古の強度を上げたり僕の任務に勝手に引っ張りだしたりしていたが、しばらく様子を見たほうがいいかもしれない。今後の十種影法術の式神の調伏予定も、リスケジュールを視野に入れるべきだろう。

 広間にぽつんと置かれた卓に着いて、用意された夕餉を二人で食べる。そこに他の五条家の者が同席することはない。恵を住まわせて稽古場としているのは僕が自室同然に占有している離れのほうで、五条の人々は本邸で寝起きをしている。食事の用意をした婆が去っていったのを見計らって、話の続きを切り出した。
「さっきの夢の件だけど、見るようになったのはうちに来てから?」
「そうかもしれません」
「もしかして恵って日本家屋苦手? こんなオンボロ屋敷、オバケ出そうっていっつも思ってた。寂しいならしばらく一緒に寝てやろうか?」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮すんなよ、こっちまで照れくさくなる」
 反応の薄い恵にちょっかいをかけるも、成果はいまいちだった。津美紀が原因不明の呪いに倒れてから半年、独善的な不良潰しをピタリとやめた恵は、代わりに呪術師としての稽古に打ち込むようになった。僕はそれをひとつの反抗期の終わりとして捉えていたけれど、依然として僕に心を開いてくれるような感じはない。前までは津美紀が僕らの緩衝材の役割を果たしていた。その津美紀自身も不良同然の振る舞いをする恵を持て余していたようで、返り血を浴びて帰宅する恵に関して幾度となく相談を受けたが、僕はそれに対して反抗期だからほっときなと言っただけだったと思う。
 反抗期は、きっかけさえあれば終わる。恵の場合は津美紀が人間らしい生を失ったことで、僕の場合は親友の離反だった。
「式神の調伏の件なんですが」
「ああ、恵の体調が思わしくなさそうだから今夜のは延期」
 すると、あ、と恵が気まずそうな顔をした。てっきりその話だと思ったのに、さては忘れていたな。今夜の調伏は少し前に恵のほうから言い出したから、予定を空けていたものだった。すみません、と恵が言った。
「……ふるべゆらゆら、やつかのつるぎ」
「なんて?」
「前に五条さんに横流ししてもらった十種影法術の取説にそう書いてありました。十の式神のうち、それだけ名前と召喚の詞しか書いてなくて、『調伏不能』以外の詳細が載っていなかったんです」
「ああ、あれね。一応禪院の血縁しか開けないように術式が掛けられていたから、下手にこじ開けて中身が消えても困るし、僕は読んでないんだよね。でもその祓詞は布留の言だろ、何かの文献で見たことがある。それがどうかした?」
「この家って、子供とかいないですよね」
 自分でもおかしいとわかっているような顔で、恵が妙なことを言う。恵の言う通り、この家に幼子はいない。
「さっきからずっと、小さな子の声が、その祓詞を唱えていませんか」

2.
 ひと、ふた、み、よ。夢を見る。
 いつ、む、なな、や。夢を見る。
 二玉の宝石がゆらゆら揺れる。
 五条に生まれた六眼の子。
 彼だけは、死なせたくなかったのに。

 ふるべゆらゆらと、ふるべ。
 やつかのつるぎ、いかいしんしょうまこら。

 小さな子が、帯を揺らして前に出る。
 十を数えて、吹き飛ばされた。
 自分は誰かを探していた。
 死なないで。どうか逃げてくれ。一番の親友なんだ。こんなことで彼を失うわけにはいかない。
 たとえ、命に代えてでも。

「恵、めぐみ、起きて。大丈夫?」
 藍玉色のふたつの眼が、覗き込んでいた。良かった、無事だ、と恵は夢見心地で安堵する。一番大事な友人だった。調伏の儀に巻き込んですまなかった。調伏の儀、なんかに……?
「あれ、五条さん……?」
 ここはどこだ、と重たい頭で考える。恵はしばらく前から五条家の屋敷で居候をしていた。津美紀が呪われてからはかつて二人で住んでいたアパートも引き払って、高専入学までのわずかなあいだ、五条の屋敷で世話になることに決めた。身体が熱くて、手足が痛い。起き上がろうとしたものの、頭痛が酷くて布団に逆戻りした。
 伸ばされた手が頬に触れた。冷たくて気持ちいい。喉が痛い、頭が痛い。あつい。でも、さむい。
「熱出したみたい。学校には欠席連絡しておくから、まだしばらく寝てな」
 手短に告げて、五条悟が枕元から立ち上がる。とっさに手を伸ばして、去ろうとしたその裾を引いた。
「なあに」
「あ、えっと、……体温計、あったら貸してもらえますか。たぶん、結構熱が高い、と、思います…」
 二玉の眼がじっと見つめている。この人を失いたくない。自分のものではない誰かの強い感情が、源泉もわからぬまま溢れ出る。
 昔は、いずれこの人も自分を捨て去るのだろう、という冷ややかな気持ちを抱いていた。父親が自分を捨て、義母が出て行ったように、いつかは五条悟も飽いて伏黒姉弟の元を去っていくだろうと思っていた。けれどもこの男に対して抱いていたその諦念に近い感情は、到底年上だと思いたくなくなるような振る舞いに何度も掻き乱されているうちに、ふわりとどこかへ消えてしまった。
 自分にとっての特別が津美紀であって、五条悟でないように、五条悟の特別もまた伏黒恵ではなかった。津美紀を失って初めて、恵はこの男もまた誰かを失った人なのだろうということに気がついた。互いに互いの特別を失った者同士が一緒にいるだけだ。失いたくないという感情を、恵自身は、きっと五条悟には抱けない。同じように五条悟もまた、恵だけをこの美しい眼に映すことはしないだろう。
「なんですか」
「手、放してくれないと取りにいけないけど」
「……あ、すみません」
 皺が寄った部屋着の裾から手を放す。失いたくない、と見知らぬ誰かの念が水面の下でさざめいた。

 五条悟が襖を締めて出ていったのを見届けて、恵はゆっくりと起き上がった。最近、あまり良く眠れていない。寝付けないのをいいことに、夜はずっと十種影法術の式神に関する文献を読み漁っていた。だからだろうか、こんな時期に体調を崩してしまった。
 五条悟は十二月に入ってから、日を追うごとに忙しそうに各地を飛び回った。彼が恵に対して何かを打ち明けることはなかったが、恐らく近く、何か大きなことが起こるのだろうと思った。五条悟がこの八年間で一度も見たことがないほど疲弊していくのを、恵は一番近くで感じ取っていた。

 ふるべゆらゆらと、ふるべ。
 やつかのつるぎ、いかいしんしょうまこら。

 まただ、と恵は目を瞑る。また子供の声が聞こえる。無邪気な声だ。何も知らずに、言われたことだけを読み上げる、無垢で瑞々しい叫び声。

 布留部由良由良止、布留部。
 八握剣、異戒神将魔虚羅。

 あれは十種影法術の式神のひとつ、異戒神将魔虚羅を呼び出す祓詞だ。五条悟が禪院真希を通して取り寄せた術式の説明書に唯一その詳細がなく、名前と祓詞と、調伏不可能である旨だけが記載されていた。
 そうだ、もうひとつ、寝入る直前まで読んでいたものがあった。あれにも何か書いてあったはずだと、枕元にばらばらと散った資料を探る。どれも五条家の書庫に保管されていたのを、五条悟がいくつか取り寄せて寄越したものだ。
 古びた和紙には、五条家の刻印が入っている。そっと拾い上げると、恵は吸い寄せられるように眠りの淵へと沈んでゆく。

 ふるべゆらゆらと、ふるべ。

──頼む、お前だけでも生きていてくれよ。

 やつかのつるぎ、いかいしんしょうまこら。

──五条。明日の御前試合、君のほうから降りてくれないか。

 ひと、ふた、み、よ。夢を見る。

3.
 恵が熱を出した。まだ小学生だった頃の恵は急に熱を出すことも多くて、その度に後見人として何度も学校から連絡をもらい、保健室まで迎えにいった。ちょうど僕が高専を卒業して、教員免許取得のために夜間大学に通っていた頃の話だ。学年が上がるにつれて恵が体調を崩す回数も減ったが、代わりに中学に入ってからは補導や暴力沙汰関連で連絡を受けることが増えた。
 別に、好きに暴れ回ればいいと思っていた。僕自身が恵の素行についてとやかく言った覚えもない。反抗期なんてそんなものだ。とは言え呼び出されれば相手方の親には菓子折りを持って三つ指ついて頭を下げにいったし、警察から連絡が入ればすぐに保護者として迎えにいった。どう足掻いたって選べる未来は地獄だけなのだから、せいぜい満足のいくまで足掻いて、暴れて、己の命運を受け入れればいいと思っていた。
 僕は僕で忙しかったから、たかが十歳そこらの子供と真剣に向き合おうと思えなかったというのも、少なからずあった。今だって別に分かり合おうなんて夢物語は描いていない。ただ、僕だけが強くても駄目だから、強くて聡い仲間を育てなければと必死だった。恵もその仲間のひとり、第一号だと言ってもいい。別に唯々諾々と従う傀儡がほしいわけじゃない。だから呪術師として以外の恵の生活に、強く干渉する気はさらさらなかった。
 何はともあれ、昨日の調伏は延期して正解だった。どうせこちらから言い出さなければ、またその場で倒れていたに違いない。いや、昨日の恵は約束自体忘れていたんだったか。
 ギシギシと軋む木板を踏んで、離れと本邸を繋ぐ廊下を渡る。歩いていた女中の婆を捕まえて体温計を持ってくるよう伝えると、婆は気遣わしげに僕を眺め回して言った。
「お熱ですか? あの禪院の子でございましょう」
「恵は禪院じゃない」
「血縁者であれば同じこと。これ以上不調を召される前に、元の家に返して差し上げたほうがよろしいかと」
「いいから早く体温計、持ってきてよ。あと氷枕とタオル。医者も呼んでやって」
「悟様」
「何」
「ご存知かと思いますが、慶長の当主様の御前試合以来、禪院の縁者様は屋敷にお通しないようきつく言いつかっております。もちろん長年のいがみ合いによるところも大きいですが、互いを守るためでもありました」
「は、何、うちに怨嗟の特級呪霊でもいるってわけ?」
 馬鹿馬鹿しい。付き合っていられるか。
 恵が五条の屋敷を訪れてからの不調が、五条家と禪院家の不仲と全くの無関係だとは、さすがに僕も思っていない。ただそんな古臭い恨みだとか祟りだとかの非論理的な話に巻き込まれるのには辟易する。ただでさえこっちは弱い人間たちの負の感情から発生する呪霊を日々祓わされているんだ。僕が実家に寄り付かないことを嘆く前に、そういうどうしようもないところを改めたらどうなんだ、と前にも伝えたはずだった。
 小煩い婆をあしらって離れの部屋に戻ると、恵は再び眠り込んでいた。敷かれた布団にはもがいた跡があった。触れた額はやはり熱い。
「急にどうしちゃったかな、恵」
 初めに不調を告げられたときは、津美紀の一件が尾を引いているのかと思った。呪われてしまった彼女を高専の息のかかった病院に入れてからすでに半年ほど経つが、その程度の時間で立ち直れるほど、恵には非情であってほしいとは思っていない。あるいは、最近よく高専入学の下準備として恵を任務に同行させて、僕の監督下で一級に近い呪霊を祓わせていたから、心身の疲労が蓄積したのかとも考えた。
 乱れた寝具を直してやって、ふと、恵が資料を抱えたままなことに気づいた。寝入る前に読んでいたのだろう。腕の下に敷かれた薄紙一枚をそっと抜き取って、戯れに紙面に目を走らせる。
 メモに近い走り書きだった。それも状態を見るに相当に古い。和紙にうちの家紋が刻まれていたが、こんなものあっただろうか。左隅に五条家の書庫判があるから、先日いくつか探させた禪院家に関係する資料のひとつには違いない。自分で目を通すだけの暇がなく、そのまま恵に手渡していたんだった。
 走り書きは、異戒神将魔虚羅に関する記述だった。

 布留部由良由良止、布留部。
 八握剣、異戒神将魔虚羅。

 昨日恵が口にしたのと同じ、布留の言。それから呼び出されるだろう式神の特徴、対策、調伏の儀に関する注意点が簡潔に記されている。
 あれ、と思った。振られた資料の保管番号には弐の枝番がついていた。この資料単体でも意味は通るが、本来であればもうひとつ前に、壱の頁があるはずだった。
「ここにはないな…」
 枕元に散逸する紙束をめくるも、それらしきものは見当たらない。運搬の際に紛失した可能性はまずないだろうから、梱包時に取り残されたか。運良く関西方面の任務を振られでもしない限り、書庫のある五条家の京都別邸まで探しにいく時間は、残念ながら今の僕にはない。人をやってもいいが、なにぶん禪院家に関する案件だから、安易に人を巻き込んで不用意な悪意が混じっても困る。

 はあ、と不貞腐れた気持ちでため息をついた。やらなきゃいけないことが山積みだった。一週間後の日没とともに決行されるであろう東西二箇所での百鬼夜行の対応。乙骨の解呪の件もあるし、先日呪詛師に高専内部に侵入された件への対策案も投げられている。津美紀の呪いの調査だって、半年も経つが依然として進展はない。今日の午後も明日も明後日も地方出張の任務続きで、しばらく屋敷に戻って来られるかもわからない。
 その上恵まで原因不明の体調不良となると、もう分身したって身体が足りない。手いっぱいだ。その不調が五条家と禪院家の古い因縁に由来するかもしれないとなれば、なおのこと解決までには時間を要するだろう。かわいそうだが、恵の件については優先度を下げるしかない。
 だからといって、弱ったこの子を預けられる当てもなかった。他に身寄りもなければ住んでいたアパートも引き払わせてしまったし、義姉も恵の面倒を見られるような状態ではない。それに、津美紀の一件以来、どうにも自分の身を省みない自暴自棄な生き癖がついたように見えることも気がかりだった。
「ごじょう、……」
 苦しそうな喘鳴が聞こえる。魘された恵が泣いている。どんな夢を見ているんだろう。何かを探すように彷徨う手を取って、しばらくのあいだ握ってやった。平熱をゆうに超えてぽかぽか温かいそれから、ゆっくりと力が抜けていく。
 式神を呼び出す大事な手に触れられても、恵が目覚める様子もない。ぐらりぐらりと、洗い出したばかりの優先順位が入れ替わる。婆が寄越した医者が来て、場所を空けるために廊下に出た。気づけば、全くするつもりのなかった事務連絡のために携帯電話を開いていた。
「……もしもし伊地知、悪いけど今日の午後と明日の任務外しといて。うん、一級案件なら七海とかで対応できるでしょ。うちで面倒見てる子が、そう、伏黒恵くん。その子が熱出しちゃって。僕の被後見人だからさ、育休みたいなのでうまく誤魔化せない? あ゛? 育休取得は三歳まで? 恵だって三歳児みたいなもんだよ。弱っちいし、意地っ張りだし。じゃあそういうわけで、……わかったよ、今日明日の分は明後日に全部まとめて祓っちゃうから置いといて。はい、後はよろしく」

 男の情けない声なんて聞いても楽しくない。伊地知の泣き言なんてなおさらだ。さっさと電話を切り上げて、診察を終えた医者の説明を聞く。ただの風邪、少し弱っているようだからよく食べさせて、寝かせてあげてください。薬はこれとこれ、解熱剤は三十八度五分を超えたら飲ませてください。三日経っても三十九度以上の熱が続くようであればまた呼んでください。
 当たり障りのないことを言って、男はさっさと引き上げていった。結局、何もわからなかった。

 五条家と禪院家のあいだには数百年前来の確執がある。それは三度に渡る天変地異にたちの悪い疫病の流行と、災い続きだった慶長年間の話だ。想像するまでもなく蛆のように呪霊が湧いたであろうその厄災の時代に、両家当主の御前試合は執り行われた。五条家当主は僕と同じ六眼持ちの無下限呪術の使い手で、一方の禪院家当主は恵と同じ、十種影法術を受け継いでいた。
 両家の当主は本気で殺し合って、その御前試合の最中に命を落としたと言われている。当時の記録の大半は失われ、真相はよくわからない。
 五条家当主のほうが、僅かばかり年下だったらしい。元服して間も無く家督を継いだが、その若さと生意気さを打ち消してあまり有るほどの実力の持ち主だったのは、彼が受け継いでいた術式からも想像がついた。
 対する禪院家当主に関する話はあまり残っていない。寡黙で、呪術師業以外ではあまり出歩かない人だったそうだ。けれども式神使いとしての才能が群を抜いていたことは、分家の生まれにもかかわらず、呪術界が三柱の、それも血統主義の禪院家の棟梁の座についたことからも明らかだった。
 そんな二人が、見境なく呪術師同士で殺し合うものだろうか。かつて僕の親友だった男は、この話をおとぎ話だと評して鼻で笑った。本当は全く別の死因だったものを、無理やり両家の因縁に仕立て上げたのではないのかと。
 僕はそうは思わなかった。強大すぎる力には、常に畏怖と悪意がつきまとう。第三者に仕組まれて、だまし討ちのように殺されたのではないだろうか。そんな穿った僕の見立てを、ずっと隣で聞いていた男は「陰謀論者」と笑い飛ばした。
 この話自体は両家の恥で、不祥事だった。以来五条家と禪院家の仲は険悪の一途を辿るばかりで、その醜い怨恨はあらゆるものに姿を変えて生き続け、今なお健在である。
 この話を恵の前でしたことがあったかは定かではない。いつか話してやろうと思いつつ機を逸した話題が、恵の実父の話を含めて、あと二、三はあるはずだった。そういえば伏黒甚爾の件なんかはすぐに食いつくかと思っていたのに、結局話すきっかけもなくて今に至る。
 恵が魘されて泣いて、目を覚ました。水を飲ませて、少し食べさせて解熱薬を飲ませて、寝付いたところで、浮かんだ汗をタオルで拭ってやった。こんなものは献身ではないし、ましてや父親を殺した負い目だとか、親代わりになろうだとか、そういう湿っぽい感情を抱いているわけでもない。
 ただ、隣にいてやりたいという気持ちはあった。今日に限らず、いつだって。大したことなんて何もしてはやれないけれど、隣にいることで、少しでも楽になればいいと思った。