祓本がチン●でピアノを弾く動画を視聴する恵の話

 人が嫌がる顔を見るのが好き、と言った五条さんの気持ちはきっと大人になっても永遠に理解することはないだろうけれど、確かに五条さんが嫌そうな顔をするのを見るのは楽しい、というのがここ最近の発見だった。元から少なかった外出の機会も自粛だ何だという昨今の何某のために格段に減ってしまって、暇を持て余した俺が精を出しているのは、専ら五条さんの過去動画を漁ることだった。

 五条さん、というのは波瀾万丈と言っても過言ではない俺の人生において間違いなく恩人と言える人であって、そしてまた今や日本で知らない人はいないほどの名声を確立した、お笑いコンビの片割れでもあった。働かずとも生きていけるくらいの資産家の生まれのくせに、五条さんが何の酔狂か夏油さんとコンビを組んでからもう十五年以上も経つが、祓ったれ本舗、という呪力舎プロダクション所属の二人の芸歴は長く、五条さんも相方の夏油さんも今や本業のお笑いの他にもそれぞれモデルに俳優に舞台と、持ち前のルックスと器用さで華々しい活躍を遂げていた。

 そんな五条さんと夏油さんだったが、昔は結構やんちゃでやりたい放題だったらしい。古き良き芸人番組といえば今の基準に照らせば到底映せないような際どい内容のものも多く、地上波での再放送はおろか、円盤購入すら叶わないのが実情だった。とはいえそういったキワモノは残っているところには残っているもので、そのうちのいくつかはいわゆる違法アップロード動画として、インターネット上で視聴することができた。

 解散ドッキリマジギレ百連発に八十八橋紐なし絶叫バンジーと俺のお気に入りはいくつかあるが、未だに宝の山を探せば未視聴の動画が出てくるのだから、当時の祓ったれ本舗の人気と暴れっぷりは想像を絶するものがある。もはや黒い歴史となってしまったそれを俺が探し出して観ることを五条さんが異様に嫌がるものだから、何だかおもしろくて最近は大半の余暇を動画探しに注ぎ込んでいた。
 これはまた酷い、とタイトルを見てまず思った。今日探し当てた動画のリンクには、太字でこんな文字が書かれていた。

【祓ったれ本舗】チン●でピアノ弾いてみた【黒歴史】

 伏字はあるが、下ネタに見せかけて本当は全然違う普通の動画でした、という釣りはままあるため、俺が真っ先に想像してしまった汚い言葉以外に何があるだろうかと考えながらリンクを押した。少しのロードの後に映ったのは、真っ暗な画面だった。

『悟〜〜〜』『今日は何弾くん』『すぐピ』『待機』『はよギター弾けるようになれ』

 黒い背景に白字の低画質なコメントが流れてくる。これは当時生放送だったものをそのまま動画として投稿したもののようだった。
 待機画面がチカリと消えて、ぽつんとグランドピアノが映った。これはスタインウェイのなんちゃら、と昔に説明を受けたような気もする五条さんの私物のピアノには、何となく俺も見覚えがあった。映り込んでいる部屋も、現在も使われている五条さんのマンションの一室だ。
 無人の画面には、生放送を待つ視聴者たちの緩いコメントが流れていく。

『ヴァイオリィインのお稽古は?』『今日こそきらきら星をマスターしてンわよ!』『悟にアルトサックス吹いてほしい』『アルトサクロス』『←は?』『※ID:xxxはNG推奨※』

「あれもう映ってる?」
「映ってるよ。悟がゴーサイン出したんでしょ」
 演出も何もなく、ぬるりとフレームインをした五条さんと夏油さんは、真っ黒なスーツを着込んでいた。一応は定期的に新調しているらしいそれは色も型も昔から変わらず、十年以上も前の生放送のはずなのに、風貌すら今とほとんど変わらない。いよいよ五条さん吸血鬼説も真実味を帯びてきたな、と信じてもいないネットミームを思い出したところで、ようやく夏油さんが口火を切った。
「それでは今日はですね」
「今からチン 《ピー》 でピアノを弾こうと思います!!」

 は、と間抜けた声が出た。
 タイトルの「チン●」って本当にアレのことだったのか? あといま放送禁止音ずれなかったか?
 画面を流れるコメントも、予想だにしなかった単語の登場に途端に荒れ出していた。

『なんて???』『NGワード送れん』『マジで?』
『チソコ』『まじかよ』『仕事を選べ』『脱ぐなw』『脱ぐなwwwwww』『おいwwwww』

 カメラの角度上肝心なところは隠れていて見えないが、グランドピアノの後ろで夏油さんと五条さんがカチャカチャとベルトを外す音が聞こえる。すとん、と床にズボンが落ちて、ピアノの脚のあいだに剥き出しの脛が覗いた。
 何事だと濁流のように流れるコメ欄をものともせず、二人はズボンを下ろしたまま両手をすっと挙げて、一時期流行したステーキに塩をふりかけるトルコ人のようなポーズ──そういえばあれが流行ったときにも五条さんと夏油さんはインスタでパロディ動画を上げていたな──をとって、いかにも神妙そうな顔つきでタイミングをはかった。

『えっ』『www』『チソポでピアノを弾くってチソポで弾くってこと?』『←それ以外にあるか??』『汚い』『絵面がきたない』『すね毛剃れよw』『顔面差し引いてもマイナス』『きったねw』『マジ???』

 せーのの合図で、五条さんと夏油さんが大きく腰を鍵盤に打ち付けた。初めに響いた音は想像していたより何倍も大きかった。デーン、なんて効果音が付きそうなくらい叩きつけられた音に、思わず俺の口からも引き攣った笑い声が出た。

『えwwwwww』『なにwww』『なんでチソコでこんなデカい音が出せんだよw』『特級』『特級チソチソ』『フルったれチ●ポ』『なにこれw』『は?wwwww』

 半分以上コメントで白くなってしまった画面の向こうで、五条さんと夏油さんは腰を揺らし身体を揺らしてどこか聞き覚えのある軽快なメロディを奏でていく。いやこれ本当に自分の身体で弾いてんのか? さすがにひとつひとつの音が強すぎる。でもたまに一緒に隣の鍵盤まで叩いているから、たぶん録音とかじゃないんだよな。痛そうだけど、まあ竿だけなら平気か? それとも玉に鉄球でも括り付けてんのか。いやしょうもねえなマジで何なんだよこれ。

 攣りそうな表情筋とともにコメントを流し読みつつも、珍妙な腰つきで演奏を続ける二人に見入ってしまう。時折尻に何か挟まったみたいな、ちょっと形容し難い顔で一時停止するの、本当にやめてほしい。曲の合間に一瞬の休憩を挟んではまたノリノリで全身でリズムを取る五条さんと夏油さんに、コメントも爆笑で渦巻いている。そんな画面を追っていくと、流れてきたコメントで、どうやらこれがとある東欧のコメディアンのパロディらしいことが分かった。なるほど、どこの世界でも物知りはいるものだ。

 それがわかったからと言って、この奇怪な祭典のような動画に対して理解が深まるわけではない。若かりし五条さんのことだからきっとたぶん適当な口実をつけて脱いで騒ぎたかっただけだろう。何と銘打った生放送だったのかもわからないし、本当にピアノの前でブツを出して演奏していたのかも知らない──いい歳した男二人が性器で鍵盤を叩く絵面なんて想像したくないから知りたくもない──が、このあとちゃんと鍵盤を消毒とかしたんだろうか。いや本当に汚い。そもそも萎えたままじゃこんな音は出せないだろうし、わざわざ勃たせたってことか? 何考えてんだあの人。

 そんな思案をしているあいだに、放送は大盛況のうちに終わった。画面が映らなくなったあともしばらくは視聴者のコメントで溢れかえり、それから再生していた動画自体が停止した。
 まるでタイミングを見計らったかのように、俺のスマホに五条さんからメッセージが届いた。先ほどの動画収録から十年以上経った、さすがにもうシモではピアノを弾かないだろう五条さんだ。

『恵、最近元気? 今度また津美紀と一緒に僕たちのライブを見に来てよ』

 キメ顔をした五条さんのアイコンが目に入るだけでも申し訳ないが笑ってしまう。きっと今直接会ったら絶対に耐えられない。まだひくつきそうな頬をほぐしながら適当な挨拶と近況報告を送って、ついでに今しがた観たものの感想を送った。
『さっきアンタと夏油さんが性器でピアノ弾いてる昔の動画を観たんですけど』
 それまで景気良く往復していたメッセージが一瞬で止まった。送信時刻の上に既読だけがついて、しばらくしてから返信が届いた。
『げっ、何してんの』
『あれほんとに自分の身体で弾いたんですか。ばっちいですね』
『いくら僕でもさすがに(banana)であんな音は出せないよ笑 今度実演でタネ明かししてあげるね』
 (banana)じゃあないんだよ。わざとなのか文字化けなのかもわからないふざけた文面に毒づいて、しかめっ面の犬のスタンプを送って画面を落とした。返信の通知に端末が震えたが、どうせ碌でもないことだろうと思って無視をした。いや、それにしても変なものを観てしまったなと思った。この先の人生で元気を失くしたときとかに、気が向いたらもしかしたらまた観るかもしれない。

 なんとなくまだあの二人が身を張って奏でた騒々しいピアノの音が耳奥に残っている。さすがにあの動画を津美紀には見せられないが、誰かに話してこのしょうもない笑いを共有したいという気持ちがふと湧き上がった。虎杖ならいけるか? でも俺がこんなものを観て喜ぶ人間だってアイツに思われるのは嫌だ。クソ、しょうもねえけど誰かに話したい。
 こんなことを言うのはまあまあ癪だけれど、こんな根暗だ何だと言われる俺にすらそう思わせるあたり、あの人たちはやっぱり根っからのコメディアンなのかもしれない、と思った。

※おまけ(動画トレス)
chin