「ヘイそこの伏黒恵くん、僕とお茶しない?」
「……は?」
寝起きの悪さも相まって、思わず今年一番の低音が出た。
寮の部屋の扉の枠いっぱいには、五条悟という長身が立っていた。まあそういうこともあるだろう。ここは東京都立呪術高等専門学校の生徒寮で、五条悟はその生徒の担任なのだから。
「いや何時だと思ってんだよ」
「日曜日の朝四時だけど。もしかして恵の部屋の時計、壊れてたりする? 早めに買い直したほうがいいよ。僕の余ってるやつあげようか?」
「壊れてんのはアンタの頭だよ! 何しに来たんだよこの迷惑教師!」
「何って、今から恵とパルケエスパーニャ行きたいなと思って」
「一人で行けよ俺を巻き込むな!」
追いつかない突っ込みに、ぜえはあと息を継ぐ。
状況を整理しよう。五条悟は日曜日の午前四時に、ただでさえ高専に入学したばかりで不慣れな伏黒恵をパルケエスパーニャに連れていきたいという。そもそもパルケエスパーニャってどこだ。志摩スペイン村か、とスマホの画面に弾き出された検索結果を見る。
「志摩、え、志摩……? 名古屋から車で二時間半って書いてありますけど」
「そうだよ?」
「術式で飛ぶんですか」
「いや、車。僕の運転」
「そうなんですね、いってらっしゃい。交通安全を祈願しておきます」
言った瞬間に景色が変わった。
腹のあたりを抱えられて、手足が宙にぶらぶらと揺れている。
「信じらんねえ、術式使いやがったな! 車じゃなかったのかよ!」
「志摩スペイン村には車でいくつもりだったよ」
五条悟がゲラゲラと笑う。最悪だ。本当に最悪だ。何てったって、明らかにここは四月の伊勢の気候ではない。こんな、いや、ここは……。
「沖縄に来ちゃった♡ 暇人(ひまんちゅ)ふたり入りまーす! めんそ〜れ〜」
「マジで何なんだ!!」
まだ顔も洗っていないし寝間着のままだ。間違いなく寝癖もついている。おまけに靴もないし財布もない。かろうじで握りしめていたスマホは昨夜充電しそこねて、電池のマークが真っ赤になっている。
なんで沖縄なんだよ。志摩はどうなったんだよ。
「どうせなら遠いほうがいいじゃん」
「朝四時の国際通りに何があるっていうんだよ!」
いい質問だね、と欠片も答える気のない五条悟の六眼が、目隠しの下で輝くのを見た。これみよがしに伏黒恵がため息をつく。
本当に付き合っていられない。もうすぐもうひとり一年生が入ってくるそうだから、早くそっちに標的が移らないだろうか。
いや五条悟に構われなくなったらそれはそれで寂しいと思ってしまいそうな自分が嫌だったが、それはそうとしてこの男のトンデモ奇行に週一ペースで付き合わされていたら自律神経と情緒が狂って死ぬ。
とりあえず靴と服を買わせて、どこかで顔を洗おう。タオルと歯ブラシもほしい。
それから、沖縄って何があるんだったか。
「前に言ってた美ら海水族館連れてってください。あとサーターアンダギー食ってみたいです」
「僕、恵のそういう順応性高いところ好きだよ」
「アンタに付き合わされていたら嫌でもこうなりますよ」
「そう? じゃあこれからもよろしくね、恵」
嬉しそうに笑う五条に抱えられたまま、恵は本日幾度目かのため息をついた。