1.
五条さん、という人との関係については、さして長くもない俺の人生においてすら幾度となく他人に向けて説明する機会があったけれど、一度として納得のいく言葉を選べた試しがないということを、始めに断っておこうと思う。
先生。師匠。保護者。恩人。
とっさに口にしてからくたびれるまで使い古した言葉はいくつかあったけれど、どれをとっても、結局のところそれはあの人と俺とで構成された多面体のような関係性に向けて照射されたひとつの光でしかなく、せいぜいその単語によって目視することができるのは、その面と隣接する幾許にも及ばない。それにどんな言葉を選んだって、たとえば地球からは決して観測することのできない月の裏側が存在するように、この多面体にも、どうしても陽を当てて言葉にすることのできないいくつかの関係があった。
ひとつ、興味深い話がある。『アンナ・カレーニナ』という文学作品自体は読んだことはないが、それを書き上げたばかりのロシア人文豪トルストイに向けて、かつて「結局この話では何を言いたかったのか」と訊ねた記者がいたらしい。
「それに答えるためには、私はもう一度同じ長編を初めから書き直さなければならない」
そう答えたのだというトルストイの気持ちが、俺には朧げながら理解できた。真に複雑に絡み合った関係性というのは簡潔な言葉だけでは表せず、結局のところいつどこであった出来事が終いにはどう結んでいったのかということを、初めからひとつずつつらつらと書いていくしかない。
わざわざこんな大仰な前置きをしたのだから、もちろん、これは五条さんと俺とのあいだにある、言葉にできない関係性についての話になる。出会ってから実に八年が経過したが、五条さんと俺との関係がこんなふうに複雑に仕上がってしまった理由は、単に付き合いの長さという言葉で片付けられるものでもないように思う。その一方で、共に過ごしたそれなりの年月によって培われていったものがあったということも、また確かだと俺は考えている。
八年前、あの人は幸福というものから程遠い道へと逸れつつあった俺と姉貴の前に現れて、まるで王族の気まぐれだと言わんばかりの飄々とした態度で、路頭に迷った孤児同然の俺たちに手を差し伸べた。孤児同然、というのはこのような回顧の類いに特有の誇張的な表現ではなく、失踪したろくでなしの父親のあとを追うように、まさに津美紀の母親も俺と津美紀を置いて蒸発したばかりだった。残された俺も津美紀もまだ六、七歳の子供で、日に日に残高が目減りしていく預金口座の通帳を片手に、電気の点かなくなった暗い家の中で身を寄せ合っていた。
当時の俺には、すでに日常のいたるところに影を潜めては舌なめずりをする呪霊というものの気配が感じとれる程度の呪力があった。そしてそのおぞましい何かに向けて果敢にも飛びかかろうとする、毛むくじゃらの二対の相棒の存在を薄らと知覚できる程度には、術式というものに対する自覚も芽生えていた。ただいずれも存在していることがわかるからといって、知識も手解きもない状態では何の役にも立たなかった。暗闇のなか、そんな薄暗い存在にはひとつも気づいていない様子の津美紀を羨ましく思う反面、俺がどうにかして守らなければいけないという、強い気持ちがあった。
未だにどうして当時の俺や津美紀が呪霊に食い殺されずに、あるいは禪院家の縁者だからとろくでもない呪詛師の餌食にならずに済んだのかはわからない。不遇だと思っていた自分の半生の運の全ては、もしかしたら知らずのうちにそこに注ぎ込まれていたのかもしれなかった。
そんなときにふと現れた五条さんは、俺が将来呪術師として働くことを担保に、呪術高専からの金銭的援助を通してくれた。父親によって知らぬ間に売り飛ばされていた禪院家に行くのではなく、津美紀のために、五条さんの元で高専の援助に頼って生活していくことを選んだとき、五条さんは仲間が欲しいのだと言った。
「僕は呪術界をリセットしたいの。僕は最強なんだけど、その夢を叶えるには僕だけが強くても駄目なんだ。だから僕は強くて聡い仲間を育てたい。……なんて、小学一年生に言ってもわからないか」
禪院家と蒸発した父親との間で先に成立していた俺の売約関連の帳消しのため、五条さんとは初対面の日からそう間を置かずに何度か顔を合わせる機会があった。そうしているうちに、当時まだあまり分別もつかない小学校低学年だった俺にも、五条さんはとてもいい加減で、大雑把で、ちゃらんぽらんな人だということがなんとなく察せられるようになっていた。だからこそ、そのどうしようもない大人──厳密には当時の五条さんはまだ十九歳の未成年だったが、──がまさに自分に向けて発した「仲間が欲しい」という言葉が、この人がごくたまに見せる、嘘偽りのない本心だったことも、薄らと汲み取ることができた。
「……でもそれって結局、自分の言いなりになる手駒が欲しいんだろ」
「手駒ってね。そんなんじゃないよ」
「違わない。そういうのは手駒って言うんだ」
「別に、唯々諾々として僕に従う軍隊が欲しいんじゃない。みんながみんな、同じところを見ていなくてもいい。自分で自分の身を守れて、自分で考えて、自分が正しいと思う行動を取れる仲間と、僕は肩を並べたいの」
「……そんなの、」
「つまりね、恵が津美紀の幸せのためだけに呪術師になるのだとしても、僕は、それでいいと思っているってことだよ」
五条さんはそう言って、ぐしゃりと俺の髪を混ぜた。呪術高専というところへ、学長だという人に挨拶に行った帰り道だった。東京の外れにある山々が連なったその向こうで、傾きかけた陽が、まばらに浮かぶ薄雲を何色にも染め上げていたことが強く記憶に残っていた。
なぜお前は呪術師になるのか。
薄暗い山奥の校舎で言葉少なに投げかけられた問いに、俺は「姉のため」と答えた。
それが学長だという目の前の男が求めるものから到底かけ離れていたことに気づいたときには、俺の背後に襲いかかろうとした呪骸という呪力仕掛けのぬいぐるみを、五条さんが指先ひとつではたき落とした後だった。
「もういいでしょ夜蛾学長。成り行き上、選択の余地もなかったんだし、あんまりいじめないでやってよ。大丈夫、この子はちゃんと、これから僕が育てるから」
その宣言通り、五条さんは時間を見つけてはわざわざ埼玉の郊外に足を運んで呪術師としての心構えを説き、いずれ必要となるだろうあらゆる知識と技術を俺に叩き込んだ。ちゃらんぽらんな人であるのもまた確かだったから、とりあえず経験して覚えろだの、どうしてこんな簡単なこともできないだの、今思い出してもムッとするようなやり方や言葉をぶつけられたことも幾度となくあった。五条さんは器用で才能もあった人だったから、この人ができて当然だと思うことを俺ができないのは仕方ないことなんだと、何度も言い聞かせてはやり過ごした。たまにどうしても我慢ならなくなって、言い返して、喧嘩になることもあった。今思えば、あの頃の五条さんは他人に物を教えるなんていう経験は初めてだったに違いないが、それがわかるほど俺は大人ではなく、また日々五条さんから与えられるものに食らいついていくだけで精一杯だった。
五条さんとは当然友達ではなかったから、休みのたびに顔を突き合わせるようなことはしなかった。プライベートのことはよくは知らないし、一応保護者という立ち位置ではあったものの、家族でもないから、一緒に住むこともなかった。けれどもごく稀に暇ができたと言って、俺と津美紀を遠浅の海辺や星空の下へと連れ出したり、日帰りや一泊程度の旅行が企画されたり、あるいは近所のファミレスから都内のどこぞの料亭といった幅広いジャンルの飲食店に急に呼び出されては、テーブルマナーの練習だと嘯いた五条さんに、夕飯を食べさせてもらうことがあった。
俺が中学に入っても、五条さんとの関係はあまり変わらなかった。一般に反抗期、と呼ばれる年頃に差し掛かってからは到底褒められたものではない振る舞いもたくさんしたけれど、津美紀が呪いに倒れたあの日までは、五条さんとは親子でも兄弟でも友人でもない、つかず離れずの関係が続いた。
五条さんは家族ではないし、友達でもなかった。先生と呼ぶにはともに過ごす時間は短く、また御三家の別の家の者同士という建前上、師弟と呼ぶのも憚られた。もちろん、必要に駆られて親子のふりも兄弟のふりもしたことがあったし、不躾に呼び出された禪院家の敷地内で、あの人のことをわざとらしく先生と呼んだこともあった。けれどもどの言葉を選び取っても、五条さんは俺にとっての何にもあてはまらなかった。それでいて誰よりも俺に近いところで、五条さんは呪術師のなんたるかを説き続けた。
五条さんは誰に対しても、常にどこか一線を引いたようなところがあった。ずけずけと踏み込んでくる無遠慮な物言いは、裏を返せばこちら側には立ち入るなという最大の防御だったのだと思う。俺と五条さんとのあいだに敷かれていた名前のつけがたい関係を足枷に、必要以上に俺から何かをアクションを取るようなことはしなかった。俺が考えるべきは津美紀と俺のことで、五条さんはそのための手段でしかないと思っていた。
非術師として義務教育を受ける傍で、そうして五条さんの元で呪術師になるべく修練を積む生活が続いた。たまには友達同士のように言い争うことも、先生のように叱られることも、家族みたいに笑い合うこともあった。
そこにいくつかの面が増えたのは、俺が中三に上がってからのことだった。