第34回目【匂わせ】

 画面の中では月九ドラマの再放送が流れていた。
 校庭の花壇だろうか。制服を纏った男女が、仲睦まじく桜の下で戯れている。
『これは焼畑農法……漏瑚、まさか今までの土では養分が足りないことを見抜いて……?』
『フン。言っただろう。真人なんぞより、儂にしておけ。儂ならお前のことも、お前の花壇も、決して泣かせはしない』
 未成年とは思えない渋い声の火山頭は、いわゆるイケメンに類される系統ではない。対するセーラー服で花壇いじりを続ける少女──少女?──も、相当大柄で個性的だ。間違っても華奢で儚い感じはしない。

 最近はこういうのが流行りなのか、と恵はポップコーンを頬張りながら考える。
 ここは五条悟の私邸のひとつだった。最新の音響設備と百インチ超えのスクリーンにあれやこれやとオプションを盛ったシアタールームのあるそこは、五条悟がオフの日に足を踏み入れる趣味用の部屋として位置づけられていた。以前恵はこの部屋の総工費を見せてもらったことがあるが、コンマで区切られることもなくずらりと並ぶ合計金額の桁数を、数えようとも思えなかったことだけは覚えている。
「いいなぁ、学生同士の恋愛」
「あれ観て本当にそう思いました?」
「え、めっちゃ良かったじゃん。キュンキュンした。僕も恵としたかったなぁ、甘酸っぱい高専生活」
「今だって似たようなもんじゃないですか」
 呪術高専の在籍歴も二年目を迎え、恵たち三人は五条悟の受け持ちから外れた。一年生最後の日に、「もし恵が女の子だったらもう結婚できる年齢なわけだし」と謎の理論を振りかざした五条悟は恵の口元にキスをして、それからどうしてこのキスをするに至ったのか、という擽ったすぎる恋情のうちを訥々と述べた。
 本当は十八歳になるまで待とうと思ってたんだけど、と格好つかない言い訳を並べ立てる五条悟に、今に飛び出しそうな心臓をぎゅっと押さえた恵は、小さく頷いた。
 叶うことすら夢見たことのなかった、九年越しの片想いが成就した瞬間だった。
「でも僕と恵は先生と生徒なわけじゃん。同級生、はさすがにアレかもしれないけど、せめて先輩後輩くらいでさぁ……」
 ふは、と恵は柄にもなく吹き出した。こんな手のかかる先輩を持ったらさぞかし大変な学生生活になるだろうことは、七海や伊地知の様子を見るまでもない。微塵の私情も含ませずに素直にそう告げると、五条悟は拗ねて頬を膨らませた。
「部活のみんなに内緒で付き合ってぇ、こっそりお揃いのキーホルダーとかつけてぇ、『五条先輩、今日は一緒に帰りませんか』って僕の委員会が終わるのを図書室でずっと待っててくれた恵と一緒に下校するやつがやりたい〜!」
「今だって付き合ってるのは公にはしてないですし、よく一緒に高専から五条さんち行きますよね」
「電池パックの蓋の裏に僕とのツーショットプリクラ貼ってほしい〜!」
「いやスマホなんで自分じゃ電池蓋開けられません」
「じゃあお揃いのミサンガを足首につけよ!」
「昔読んだ呪いのミサンガの怪談が思いのほか怖かったんで嫌です」
「じゃあ恵の前略に僕の名前載っけて!」
「とっくにサービス終了してますよ。さっきから微妙に周回遅れなの何なんですか」
「僕らの! 世代の! 青春の! 象徴!」
「ああ…」
 どれもギリギリ知らないわけではないけれど絶妙に刺さらないのは、年の差のせいだったのか。
「むしろ恵たちの世代のカップルって何してんの?」
「俺もそんな詳しくはないですけど、SNSで共同アカウント運営をしたりとか……? あとカップルYouTuberとして配信やってる知り合いがいるって釘崎が言ってました」
「デジタルネイティブの令和生まれこわ……。僕、机に相合傘の落書きして鍵付きノートで交換日記するくらいで全然いいんだけど」
「念のため言っときますけど、本物の令和生まれはまだ幼稚園入園前ですからね」
「僕は恵と夫婦漫才がしたいわけじゃあないんだよ」
 ぶうぶうと下唇を尖らせた男が、とうとう拗ねて寝っ転がってしまった。二メートルに手が届きそうな長身が、シアタールームの床いっぱいに敷き詰められたクッションの合間に沈んでいく。自他ともに認める造形のいい顔が、到底三十路間近とは思えないふくれっ面をする。年甲斐もないその様子を、恵は愛おしく思う。こればかりは惚れた弱みだから仕方がない。恵は、五条悟という存在に対してたいそう甘かった。
「わかりました。じゃあお揃いで何かつけましょう。目立たないやつがいいです」
「指輪とか!?」
「目立たないやつがいいです」
 重要なことだからと二度繰り返して、恵はつけっぱなしだったテレビに目をやった。ちょうどCMが明けて始まったらしい昼のバラエティ番組の司会が、登壇者の最近購入したものについての雑談を振っていた。ゲストの新車納入の話から始まって、家電やペット、時計にアクセサリーと、様々な品物が挙げられていく。
「そうですね。同じブランドの、デザイン違いの腕時計とか、そういう感じのはどうですか」
「はい! はい! さんせぇええい! 賛成です! 恵、センスいいね! 今すぐ買いに行こ!」
 急に元気よくはしゃぎ出した五条悟に連れられて、気づけば恵は百貨店の応接室に通されていた。五条悟の顔馴染みらしい外商部員が、到底青春を満喫するカップルが手を出すような価格帯ではないクォーツ式の時計を机の上に並べていって、恵はその中から気に入ったものを選ばされた。
 今まで服飾品にそこまでのこだわりを見せることのなかった五条悟が急に誰彼構わず腕時計の話をし始めたり、とても十代が身につけるようなものではない時計を恵が、それも五条悟と同じブランドのものを同じタイミングでつけ出したため、二人の関係はそれからあっけなく露呈した。
 匂わせで本当に匂っちゃ意味ないわよね、とは後の釘崎野薔薇の言である。