五条さんが俺と津美紀の保護者になって、もう何年も経つ。五条さんは忙しいくせに、小学校でも中学校でも毎年欠かさず運動会を見にきた。早朝からブルーシートを持って正門前に並び、誰よりもはしゃいで、保護者対抗レースで二年連続優勝した。秋のバザーでは、どうやって持ち出したのかもわからない夜蛾学長手作りのぬいぐるみを出品しようとしていたのを水際で止めた。あとはPTA主催の夏祭りでも、ちゃっかり出店のシフトに入っていたな。射的ゲームの屋台で、的を外したわんぱく小僧どもを意地悪く煽って泣かせていたという話を、後日人づてに聞いた。きっと俺に稽古をつけるときみたいなキツい口調で詰ったのだろうと、見も知らぬ子供たちを気の毒に思ったのを覚えている。
一番記憶に残っているのは、初めての三者面談だった。俺が小学三年生のとき、五条さんはまだ成人したばかりだったらしい。そんな若造のような雰囲気はおくびも出さず、五条さんは俺でもわかるくらいに仕立てのよさそうなスーツを着て、律儀に新品の上靴まで持参して、ちっちゃな小学校の窮屈な廊下を、長い足でかっぽかっぽ歩いてやってきた。
「三者面談って何やるんだっけね。就活とか進路の相談?」
「小学三年生にそんなことさせないでしょ。クラスの係を頑張ってますねって褒められて、家での様子とか聞かれると思います。家では宿題頑張ってます、楽しそうに学校での出来事を話しますって適当に言ってもらえれば大丈夫なんで」
「恵はクラスでは何係さんなの」
「うさぎ係さん」
「へ?」
「飼育委員みたいなやつ。校庭の隅に小屋があって…」
「ぶっは!」
ヒィヒィ笑う声が中まで響いていたのか、俺のひとつ前に面談をしていた同級生の親子が、怪訝そうな様子で教室から出てきた。それから少し待たされて、担任が廊下に顔を出した。
「お待たせしました。次は伏黒くんですね。お二人とも中へどうぞ」
五条さんは忙しい人なのに、こうやって俺と津美紀の学校関係の行事には欠かさず参加した。先週すでに三者面談を済ませた津美紀は、五条さんにも担任の先生にもたくさん褒めてもらえて嬉しかった、と帰宅するや否や飛び跳ねて俺に報告した。もしも五条さんが津美紀に、いつも俺にするみたいに意地悪や酷いことを言ったら許さないと思っていたから、それを聞いてとても安堵した。非常識でろくでもない振る舞いをすることが多い五条さんだったけれど、呪術に関係ない人に対しては、一応ちゃんとした受け答えができるらしかった。
失礼します、と他人行儀で入った教室は、掃除のときみたいに全ての机と椅子が後方に下げられてあって、広くなった床の真ん中に四つの机が、給食のときのように向かい合わせで並んでいた。
「先生、恵は学校ではどうですか」
五条さんは着席して、すぐにそう切り出した。
「この子、呑み込みめちゃくちゃ早いでしょ。たぶん僕に似て、地頭が良いんですよ。学業のほうは全然心配してないんですけど、自分から積極的にいくタイプじゃないから、友だち関係とかちゃんと築けてるかなって。恵、楽しそうにやってます?」
僕に似てって何だよ、と思った。別に五条さんとは親子じゃない。
先生もうちの複雑な家庭事情を把握しているから、発言の細部については、ふふ、と笑って受け流してくれた。それから「楽しそうにしていますよ」と答えた。
「確かに積極的にクラスを引っ張るタイプではないですが、任されたことは責任を持って最後までやり遂げてくれます。伏黒くん本人から聞いているかもしれませんが、伏黒くんは今学期はうさぎ係をやってるんです。学校で飼っているうさぎに毎朝餌をやって、持ち回りで掃除をするんですが、伏黒くんはよく気がついて、当番を忘れてしまった子の分まで掃除をしてくれるんです。とてもよく周囲に気配りが出来る子だと思いますよ」
「恵は優しい子ですからね」
ちらりと盗み見た五条さんの表情は穏やかで、少し得意げに笑っていた。以前「そんなんだから親に捨てられちゃうんだよ」と言って俺を泣かせたときの意地悪な顔とは似ても似つかない。
「伏黒くんは、お家ではどうですか? 保護者として、何か心配ごとはありますか?」
「多忙で家を空けることが多いから、寂しい思いをさせてるんじゃないかと思うことはありますね。あとは、恵にはとても期待をしているので、ついついキツいことを言って叱ってしまうときがあって。あまり意地の悪いことばかりを言うと、嫌われるんじゃないかとは思ってはいるのですが…」
普段、五条さんは俺に対してそんな良識のある大人みたいなことは言わない。俺に期待をしているなんていうのも初めて聞いた。そんなそぶりは見たこともないから、きっとよそゆきの発言だろうと思った。というか意地悪の自覚はあったのか。俺の面談のはずなのに五条さんは担任と二人で盛り上がってしまい、いつのまにか蚊帳の外になっていた。仕方なく、心の中で会話に参加する。伏黒恵くんは、毎日真面目に宿題に取り組んでいます。家でも良く本を読んでいます。学校での出来事を楽しそうに話していますね。姉の手伝いをたくさんします。うさぎ係として毎日餌をやれるのが楽しいって言っています。
こうやって適当に、当たり障りのないことだけを言っておけばいいのに。
「すみませんね、長くなってしまって」
「いえいえ。伏黒くんはどう? おうちの方に伝えたいことはある?」
「いえ。……たしかに理不尽なことも言われるけど、でも五条さんの言うことは根本的には間違ってはいないし、悪意があって言ってるわけじゃないのはわかってるから。あと、本当にどうしようもならないときはちゃんと手を差し伸べて助けてくれるので、信頼はしています」
それを聞いた担任は、ほっとしたように微笑んだ。大人受けを考えた末の応答ではあったけれど、本心でもあった。五条さんは少し驚いたような顔をしていた。
それから先生はファイルの中から、小さな封筒を取り出した。以前国語の授業で書かされた、おうちの人への感謝の手紙だった。
「では最後に。本当はこれはこの前の授業参観で児童たちから直接手渡しする予定だったんですが、五条さんはいらっしゃらなかったので」
「恵、どういうこと」
「お知らせのプリントならちゃんと渡しましたよ。でも五条さんはどうしても出張をずらせなくて行けないって言ってました」
「え、あれ、そうだったっけ。ごめん。ああ、先月のあれか」
前に一度保護者へのお知らせを五条さんに渡さず捨ててしまい、こっぴどく詰められたから、それ以来保護者宛ての配布物を隠蔽するようなことはしていない。五条さんはもう一度、ごめんね、と謝ってくれた。
「ねえ、これ、いまここで読んでもいい?」
「別に。好きにしたらいいと思います」
「じゃあ読んじゃお」
がさつな性格にそぐわない器用な指先が、丁寧に封を切った。
『五条さん いつもとてもいそがしいのに学校行事を見に来てくれたりしてありがとうございます。あと、あんまり甘いものは食べすぎないほうがいいと思います。この前とうにょう病かん者の書いた本を読んで、五条さんにはこんなふうにはなってほしくないなと思いました。これからもけんこうに気をつけてお仕事をがんばってください。 伏黒めぐみ』
五条さんは、それはもう大笑いした。しまいには担任の先生もちょっと引いていたと思う。そんなにおかしなことを書いたつもりはなかった。当初はひとりひとり立ち上がって読む計画だと説明されていたから、なるべく当たり障りのない内容にしたはずだった。
便箋を三つ折りに戻して封筒に入れ、五条さんはそれを大事そうに手提げの中に仕舞った。それからゆっくりと立ち上がって言った。
「それじゃあ先生、今日はありがとうございました。引き続き、うちの恵をよろしくお願いします」
「ええ、本日はお時間ありがとうございました。伏黒くん、また明日ね」
昇降口を出ると、五条さんは今から出張で東北に向かうのだと言って、俺の家とは反対の方向に歩いていった。面談で話した内容には特段触れず、津美紀によろしくとだけ言って去っていった。家では津美紀が待ち構えていたから、五条さんが津美紀によろしくと言っていたということをそのまま伝えた。
「ねえ、どうだった? 五条さんにいっぱい褒めてもらった?」
「五条さんが俺が書いた手紙を読んでバカ笑いするから、担任の先生も、廊下で待ってた次の子のお母さんもびっくりしてた」
「それでそれで?」
「それだけ」
「もー、そんなわけないでしょ!」
それから何日かして、うちの郵便受けに小さな封筒が投函された。差出人は五条さんで、消印は岩手県のとある町の郵便局のものだった。そういえば三者面談の帰りに、そのまま出張で東北に行くと言っていたなと思った。中身はこのあいだのおうちの人への手紙に対する返事だった。律儀に返してくれるような人ではないと思っていたから、少し面食らったまま中身を開けた。
『めぐみ いつもきびしいことをたくさん言ってごめんね。こんなことを言ってもしんじてくれないかもしれないけど、僕はめぐみの成長をとても楽しみにしています。三者面談で、僕のことをしんらいしてるって言ってくれてうれしかった。いつか僕を追いこして。これからもよろしくね。 五条さとる』
手紙にはそう書いてあった。あのとき俺の手紙を読んで教室で笑い倒した五条さんの気持ちは、やっぱりわからなかった。もういいかなと思って、手紙に対する返事も書かなかった。ただ、その手紙はとても大切に仕舞っておいた。
あれから何年も経つ今でも、あの手紙はちゃんと引き出しの中に眠っている。