鍋パしようぜ、と言い出したのは狗巻棘だった。けれどもあいにくその誘いの言葉はおにぎりの具としてしか伝わらず、結局伏黒恵に集合と持ち物を伝えに来たのは、禪院真希とパンダだった。
「いや、夏ですけど」
「決起会すんだよ。明日から交流会だろ。野薔薇も来れるって」
「各自一品持参だからな」
「ちなみに野菜はもうひと通りそろってるぞ」
「俺、肉の常備なんてないですよ。何時からですか」
「十八時、パンダの部屋」
山奥にあるにもかかわらず学食がなく、おまけにまとめて買い出しや調理をしたほうが楽で安く済むため、こうしてよく学年を超えて夕食をともにすることが、高専の寮生活では多々あった。もともと、だいたいのメンツとは入学前からの付き合いがあるし、おまけに四六時中一緒にいるのだ。今さら他人行儀な遠慮もなかった。
「今から買い出しに行ったら十八時は無理です」
東京都立呪術高等専門学校、と言えば聞こえはいいが、二十三区から遠く離れた山の中に位置するそこでの生活は、東京というきらびやかなイメージとはかけ離れている。最寄りのスーパーまでは車じゃないとアクセスできないし、品揃えの良さを考えると無人販売所の世話になることのほうが多い。高専敷地内の雑貨屋に運良く目当てのものがあればいいが、競合他社を持たないあの店が、この時間に生鮮食品を残してくれているとも思えない。
「無理なら野薔薇と先始めてるわ」
「アイツ準備してたんですか」
「今回の鍋スープの素は野薔薇の提供よん」
「そんなのありかよ。一品のカウントガバガバだな」
勘のいい釘崎のことだ、何となくこうなることを見越して準備していたのかもしれない。
「わかりました、い……」
虎杖とも相談してみます、と続きかけた言葉を、伏黒はぐっと飲み込んだ。虎杖悠仁はもういない。一ヶ月前のあの少年院での事件で、アイツは宿儺に心臓を破壊されて死んだ。己の力量が足りないばかりに、助けてやることができなかった。
こんなときにはきっと率先して買い出しにいき、嬉しそうに準備を手伝っただろう善人の幻影が、ふわりと消える。高専の古びた建物の至るところに現れるそれは、この一ヶ月間、ずっと伏黒の心を蝕んでいた。
「何か言ったか?」
「……いえ、今から準備してきます」
あいつが生きていたら、きっとすぐに隣の部屋の扉を叩きにいって助力を頼んだだろう。頼むまでもなく、助けてくれたかもしれない。
自炊は苦手だけど生姜に合うものが好きだと言ったら、じゃあこれならそのままでも、鍋でもスープでも何でも合うよ、なんて嬉々として教えてくれた肉団子のお手軽レシピを思い出す。伏黒はあまり凝った自炊をするほうではなく、性格の几帳面さとは裏腹に、どちらかといえば食べられれば何でもいいタイプの自覚があるが、虎杖はそうではなかった。祖父とのふたり暮らしが長かったからか、意外にも美味しくバランス良く食べられるものを、手軽に準備することに長けていた。
虎杖ならこうする。虎杖はこうだった。虎杖がいたら、どうしていただろう。
この一ヶ月のあいだ、何度もそんな考えが浮かんでは、伏黒はそれを振り切るように稽古に没頭した。たった数週間足らずしか同窓でなかった男は、伏黒恵という個の中に、あまりにも大きな爪痕を残しすぎた。
案もアテもなく、居室に置いた単身用の冷蔵庫を開けた。中にはまだ、開封して間もないおろししょうがのチューブが残っていた。これは虎杖の意外な自炊力に触発されて、一緒に麓のスーパーまで買い出しにいったときのものだ。
冷凍庫にひき肉とねぎもあった。「小分けに冷凍しておくといざというときに便利なんだよな」ともらったアドバイスを律儀に守って保存していたものだ。
醤油もある。部屋にひととおり揃ってしまった調味料は、すべて形見分けとしてもらったアイツの遺品だった。
あとは卵か。卵なら、昨日高専の店で買ったものがまだ残っている。
「ほんとは卵黄だけなんだけど、めんどくさいから俺はそのまま全部入れちゃう。どっちでもおいしいよ。でも伏黒はそういうの、きっちりやりそうだな」
何をするにも、故人の影が付きまとう。勘弁してくれよ、虎杖はもういないんだ。振り切るように手早く食材を切って、入れて、ボウルの縁で割った卵の殻を捨てる。
あとはもう混ぜるだけだ。一口大に取り分けるのは、鍋に入れる直前でいい。
「これなら間に合うか」
明日からはいよいよ京都校との交流会だ。
虎杖悠仁を亡くしてから、伏黒も釘崎も、ボロボロになるまで鍛錬した。己の不甲斐なさを糧に、無我夢中で稽古に励み、二年の先輩たちに扱かれた。少しは強くなったと思いたい。これ以上、仲間を失わずにすむだけの強さがほしかった。
今さら強くなったって、もうアイツが帰ってくることはないけれど。
「なんて、言ったら化けて怒りに来そうだな。アイツ」
これは故人の虎杖悠仁くんが箱から飛び出す、一日前の話。