二〇一八年の君へ - 4/4

エピローグ

14.(二〇三二年)

 その日見かけたニュース記事が、いつになく目に止まった。
『二十一日深夜、神奈川県逗子市の国道一三四号線沿いの海岸で、水没した車内から男性二人が見つかった。二人は県内に住む無職の四十二歳と二十九歳で、その場で死亡が確認された。通報者は近隣住民だった。「大きな音がして車が沈んでいるのが見えた」。現場付近にガードレールはなく、道路から海の方向にはタイヤの痕が見つかった。』
「……何らかの原因で車が転落したものと見られるが、共に遺体の頭部の損傷が激しく、警察は事件と事故の両面で死因を調べている、だって」
「それ俺も昨日読んだよ。でも別に呪霊の仕業って感じじゃないし、窓の調査派遣は……」
「違うわよ、私が言いたいのはそっちじゃなくって」
「『四十二歳と二十九歳』?」
「何よ、わかってるんじゃない」
 私に詰め寄られて、虎杖が肩をすくめた。
「釘崎は考えすぎたよ、偶然同じ歳なだけだって。それに、もし昨日の事故に巻き込まれたんなら、伏黒はまだ二十八じゃない?」
「そっか、あいつ今日誕生日か」
 ふと気になって、もう随分と下のほうに埋もれてしまったアプリの会話履歴を遡った。最後に送ったメッセージは、まだ高専生だったときのものだ。未だに既読の付かない同級生におめでとうは送れない。
「伏黒、元気にしてるかな」
「さあね。あの五条が付いてるんだし、なるようになってるでしょ」
 その後わざわざ記事内で訂正が入ったということで、その事故の話題がSNSでも触れられているのを見かけた。訂正の内容自体は大したものではなかった。けれども紙面でもないのにそんな取り扱いがされるのは、何だか少し珍しい気がした。
『本記事内の年齢に誤りがありましたので、修正いたしました。』
 回ってきたリンクから飛ぶと、そんな簡素な文言の下に正誤表がついていた。
『誤、二十九歳。正、二十八歳。また、ご遺族の意向により、本記事の氏名は非公開としております。』
 それだけでは何もわからなかった。特段高専からの連絡もなかったから、そのときはそれで忘れてしまった。
 年度末に、その年の呪術界関係者の訃報一覧が配られた。これは私たちが高専生だった頃から変わらない、毎年恒例の行事だ。たまに見知った補助監督や窓の名前を見かけては少し落ち込んだり、最近見かけないと思った同僚の名前を見つけて一日くらい塞ぎ込んだりすることもあった。それでも知らないまま過ごすよりはいいと、届いたメールには毎年必ず目を通した。
 今年の記事には、知り合いの名前がふたつ並んでいた。
 五条悟(42)
 五条恵(28)
 そういえばアイツ、養子縁組をしたんだっけ。片方のその見慣れない字面に、遠い記憶を手繰り寄せた。
 それで、ふと昨年末に見た水没事故の記事を思い出した。やっぱりあれは二人だったのかもしれない。もう一度読もうと記憶を頼りに探したけれど、三ヶ月も前の記事だからか、検索結果には似たような別の記事ばかりが並んだ。
 薄情なようだけれど、この件はそれで終わりだった。葬儀には呼ばれなかった。詳しくは誰も知らないのだから、話題に上ることもなかった。そもそも渋谷事変より後に呪術界に足を踏み入れた子たちは呪術師も補助監督も、伏黒の名前はおろか、五条悟のことすらよく知らなかった。
 虎杖には一応連絡を入れた。月中から長期任務だと言っていたから、しばらく返信はこないだろう。
 帰宅してふと、戸棚に飾っていた写真立てが目に止まった。額縁に入っているのはあの日に四人で撮った、卒業式の写真だった。
 目を瞑ればよみがえる記憶は、長い年月のせいで、きっともう美化されてしまっている。溢れんばかりに咲いた桜を背景に、四人で記念写真を撮った。変顔をして、ジャンプをして、馬鹿みたいに真面目な顔もした。卒業して次に会うときは、誰かの葬式かもしれないような世界だった。私は、私たちがここに立って、笑って、生きていたんだという痕跡を、形に残しておきたかったんだと思う。
 写真の中では、五条と伏黒も笑っている。でも、もう二人に会えることはないんだ。卒業してから今までだって別に大して顔を合わせてきたわけではないけれど、その事実をいざ突きつけられると、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
 写真立てに手を伸ばした。ごめん、今日だけは許して。心の中でそう呟いて、それをそっと棚板に伏せた。遠く過ぎ去った青春のひと幕は、今はあまりにも眩しかった。