「午後の任務は僕が恵の玉犬になるね!」
「は? 結構です」
高専卒業後、初めて二人で振られた任務先で、唐突に五条悟がそう言った。
パンパン、と恵は心のうちで手を叩く。五条悟の苦手なところで山手線ゲーム。パンパン。急にわけのわからないことを言い出すところ。
「白や紺だと本物と被っちゃうから青がいいかな。僕の目の色にちなんでね。ほら影絵作って呼んでみて。玉犬・青」
パンパン。人の話を聞かないところ。パンパン。乗ってやらないと拗ねるところ。パンパン。
「何なんですか」
「え、僕たち付き合ってるよね?」
「付き合ってますけど付き合ってるのと玉犬ごっこするのと何の関係があるんですか」
「何もないよ。恵もしかしてご機嫌ナナメ? お腹空いてる?」
俺が七海さんだったらそろそろキレてるな、と伏黒恵は思った。恵が今は亡き七海建人と同じ一級術師に昇格したのは高専在学中だったが、未だに唯一七海に勝てるのは五条悟に対する忍耐力だけだと思っている。それくらい七海建人は立派な大人だったし、五条悟は今も昔もどうしようもないし、何より伏黒恵はそんなどうしようもない五条悟に甘かった。
「次の任務って偶然僕らが近くまで出張してたからって急に振られた三級呪霊討伐じゃん? 強さは全然だけど緊急性が〜、って。そんな雑魚を普通に払っても面白くないからさぁーあ、術式なしの呪力操作と体術縛りにしてぇ、ついでに無量空処内でロケット花火ぶち上げながら生活保護撤廃について論じてる動画上げて炎上しようぜぇ」
「このあいだ俺に無量空処しながらハメ撮りするって言って失敗してたから、領域内の動画撮影は無理じゃないですか」
「そういえばそんなことあったね」
ねえもしかして無量空処しながら挿れたら無限に『気持ちいい』が完結しないんじゃない!?となんの脈絡もなくはしゃぎ出した五条悟の犠牲になった夜を思い出す。そもそもすべてを知覚しすべてを感じているときに追加で何をされてもわかるはずがなかったが、呪術師としての仕事が本格的に割り振られる日々に疲弊し始めていた上に、折り悪く慣れない酒に呑まれていた恵もついつい「天才ですか」とおだてて乗ってしまったのが良くなかった。結局わけもわからないままいつまでも完結しない情報と推定三億個の遺伝子情報を流し込まれて、気づけば夜が明けていた。真っ暗な画面と無音を再生する撮れ高ゼロのビデオカメラ片手に落ち込む素っ裸の男の背を眺めて、完全無欠そうに見えてたまに見せるこういうダサいところも好きなんだよな、と思ったところで高専内での事前申告なしの領域展開がアラートに引っかかったらしく、夜蛾学長が飛んできて始末書騒ぎになったのは比較的記憶に新しい。うっかり思い出し笑いをしそうになった恵は、引くつく口元をしかめっ面でごまかした。
閑話休題。
任務所管部からのメールに添付されていた指示書が指定した住所は、大きな森林公園の入口だった。少し置くまで進んで帳を下ろすと、五条悟は腐葉土の上におすわりをしてワンと鳴いた。字面だけ見るとどうしようもない雰囲気が漂うが、実際本当にしょうもない絵面だった。顎下まで下げられたアイマスクが、確かに首輪のように見えてくる。
「本当にやるんですか。呪力操作と体術縛りの玉犬ごっこ」
「ワオーン。ワンワン。恵もやりたかったら六眼持ちごっこしてていいよ」
「無茶言うな」
五条悟と伏黒恵が今のお付き合いという関係に収まったのは高専在学中だったが、それを公にしたのは卒業式を待ってからだった。以来、五条悟なんかのどこがいいのか弱みでも握られているのか良い弁護士を紹介しようかと会う人会う人に質問攻めにされる日々だったが、恵自身、五条悟のどこがいいかなんてわからない。顔と身体は好みだし、声も好きだ。けれどもきっとそんな上っ面だけでは到底語れない、十年以上の年月で培われた二人だけの関係というものがあるはずだった。たとえ中身がこんな、ふざけた人だとしても。
「ほら、恵はやく玉犬してよ。伏黒一級術師の〜〜〜ちょっとイイトコ見てみたい! それ玉犬! 玉犬!」
五条悟は本人以外の誰もが認める、いい加減でチャランポランな男だ。彼の生徒だった頃は教師と生徒という関係のためにある程度ブレーキが掛かっていたようだったが、高専を卒業して呪術師としての本業が始まってからは、家入や七海に対するのと同じような軽薄さで絡まれることが増えた。良くも悪くも彼の庇護のもとを抜け出した、とも言えるが、やりづらいことに変わりはない。
けれども同時に、誰もが認める通り、五条悟は最強だった。
玉犬・青、と飲み会のコールのようなふざけた掛け声に応えて両手を組み合わせ、存在するはずもない式神を呼んでやる。ワォンとわざとらしく人間くさい鳴き声を上げた五条悟が、目の前の低級呪霊を蹴散らしていく。最強、という言葉が似合う貴重な瞬間だった。自分で設けた縛りのために一切の術式を封印していたものの、全く無駄のない体捌きで、まるで映像作品のアクション俳優のように宙を舞う。
わずか数十秒で鏖殺した呪霊の山から二体を両手で掴んで、五条悟が恵の元に戻ってきた。アオーン、と伺うような声色で何かを期待するように見つめられて、恵は困惑する。
「何ですか。ああ、喰っていいぞ……?」
「ワン!」
五条悟がむしゃむしゃと食べる真似をすると、そのたびに呪霊がひとかけずつ減っていくのを、恵は不思議に思って観察した。何をしているのかと思ったら、呪力を術式に流し込んで少しずつ圧縮してスクラップにしているようだった。素直に才能の無駄遣いだと思った。
「どう、楽しかった? 元気出たでしょ?」
ゲラゲラ笑いながら、ようやく五条悟が人間に戻った。いい運動だった、と服の埃を払う男に、手にしていた飲み物を渡してやる。
「まあ、それなりには……。まさか虎杖や釘崎と組むときもこんなことしてないですよね」
「大丈夫、僕がこんなことするのは恵だけだよ」
「良い声で囁くな」
結局五条悟が何をしたかったのか、恵にはわからなかった。慣れない呪術師業をこなす日々を気遣われたのかもしれないし、本当にただ気まぐれに、玉犬の真似をしたかっただけなのかもしれない。考えるだけ無駄だということを、恵はよく弁えていた。
自分が祓った代わりに、と任務報告書の作成は恵に押し付けられた。どう書いたものかわからず、五条悟に聞いても「そのまま書けばいいんじゃない?」と何の役にも立たないアドバイスをもらったため、結局報告書にはありのままを綴った。『特級術師五条悟が玉犬・青になって全部祓いました。報告書作成者、伏黒恵』。ヤケクソだった。隣では五条悟がいい感じの枝を拾い集めて魔虚羅の物真似をしていたから、次は布留部由良由良ごっこを強要されるかもわからない。影の中にそれっぽい剣の呪具を用意しておいたほうがいいかもしれないと思う恵は、やっぱり五条悟には甘いのだった。