第41回目【持ち上げる】

 幸せには重さがある。
 冬の日に潜り込む掛け布団の重さ。任務の終わりに両肩に掛かる、眠り込んだ同期たちの頭の重さ。ちょっと持ってて、と担任から手渡されるサングラスの重さ。
 連絡を待つときの携帯端末は軽いのに、待ち人と会えるまでの僅かなあいだだけ、端末は途端にずしりと重みを増す。だから人を待つときは、うっかり携帯を取り落としてしまわないように、うんと気をつけなければいけない。
「恵、なにしてんの?」
「幸せの重さを測ってます」
「ウケるね」
 ちょうど五十八分の遅刻とともにやってきた五条悟は悪びれることもなく、スマートフォンを手のひらに乗せる恵をたったその一言で片付けた。五条悟の遅刻には、恵だってもう慣れっこだ。責めるほどでもない十分程度の遅刻では現れなかった時点で、恵は数時間単位の待ちぼうけを覚悟していた。
 待ち合わせ場所として指定されたのはいつも通り、五条悟が居住する高専内の寮室だった。五条悟は外套を脱いで、ベルトを外して、それからふと思い出したように、鞄の中から平べったい箱を投げて寄越した。表には、五条悟の本日の出張先の地名と『温泉まんじゅう』という文字が載っていた。
「それはね、いい子で待ってた恵へのお土産。遅くなってごめんね」
「連絡くらい入れてくれりゃいいのに」
「それがうっかり車内で取り落としちゃってさ、降りて探すまで見つからなかったの」
 お土産だと言って手渡した箱を、五条悟は後ろからひょいと手を伸ばして取り上げた。
「重いです」
 ついでのように肩に腕を置かれて、体重が乗り掛かる。恵を腕の中に抱き込んだまま、五条悟が包装を破って箱をあけた。中には黄金色のまんじゅうが、縦横四列ずつ綺麗に鎮座していた。
 恵は甘味はそんなに得意ではないが、まんじゅうは好きだった。あのちんまりとした外見にそぐわず、中身がぎゅっと詰まって、重たいところがいい。
 何事も、適度に重いのが一番だ。冬の日に被る毛布も、信頼とともに寄りかかる仲間の身体も。重たすぎては苦しいし、軽すぎては不安になる。
 幸せと重さの思索に手を伸ばそうとした恵に、ぎゅう、と五条悟の全体重の何分の一かを乗せたハグが降った。急な重さを受け止められず、薄い身体がつんのめる。
「先生って、体重いくつですか」
「いくつだと思う?」
「七十五くらい?」
「ないしょ」
 心地よい低音が、可笑しそうに耳元をくすぐる。
 そのまま土産のまんじゅうをひょいとひとつ頬張って、背に掛かる重さとともに、五条悟は浴室へと消えていった。
 机に置かれた菓子を仕舞うついでに、恵もひとつ箱から摘まみ上げて包みを解いた。小さくて丸い和菓子は、やはり見た目よりもぎゅうと重たい。ぱくりとかじると、舌の上に餡のざらついた重さが触れた。
 甘味はあまり好きではないけれど、まんじゅうは嫌いじゃない。それでもさすがに渋い緑茶が欲しくなって、キッチンの戸棚からやかんを探した。金属製にしては軽すぎるそれに、適量の水を注ぎ入れてバランスを取る。
 火にかけたミネラルウォーターが沸騰するよりも先に、五条悟が戻ってきた。彼は睡眠も短ければ、風呂から上がるのも早かった。
 再び背中に体重が押し付けられる。危うくコンロに突っ込みそうになったというのに、五条悟は悪びれない。伸びてきた指が回っていた換気扇も火も消して、恵を寝室の方角へと誘った。
「幸せの重さ、七十五キロだった?」
「先生の体重が七十五キロなら。七十五キロと、おまんじゅう二つ分ですね」
 ベッドの上で、七十五キロの柔らかな身体が、じゃれつくように覆い被さった。潰されることも、つんのめることもしない。風呂上がりの身体は温かく、素晴らしく心地のよい重みを持っていた。
「僕はまだひとつしか食べてないよ」
「さっきひとつもらいました。甘かったです」
「おいしかったでしょ」
「ええ、とても」
 ふいに身体を持ち上げられて、彼の膝に乗せられた。享受していた重さは失われて、代わりに恵の身体に重さが生まれる。跨がれた太ももは、しっかりと恵の体重を受け止めた。
「僕の幸せもね、ひょろっひょろの恵の体重と、おまんじゅう二つ分」
「これでも、少し重くなったんですよ」
「おまんじゅうひとつ分以上?」
「おまんじゅうひとつ分以上です」
「いいね。どんどん食べて大きくなりな」
「先生の幸せ、増えちゃいますね」
 くすくすと笑って、同じように揺れる身体に身を預けた。七十五キロと、ひょろひょろの体重と、おまんじゅう二つ分。幸せな重さが、混ざり合って溶けていく。